2021年08月25日

「可與共學」の宿題回答

〈素読会〉八月七日の宿題 「仮名論語」一二五ページ
子曰。可與共學。未可與適道。可與適道。未可與立。可與立。未可與權。
読み下し➜子(し)曰(のたま)わく、与(とも)に共(とも)に学(まな)ぶべきも、未(いま)だ与(とも)に道(みち)に適(ゆ)くべからず。与(とも)に道(みち)に適(ゆ)くべきも、未(いま)だ与(とも)に立(た)つべからず。与(とも)に立(た)つべきも、未(いま)だ与(とも)に権(はか)るべからず。
【解釈】
○ 一般的には
 可シ與二共ニ學ブ
 読み➜ともに共に学ぶべし。
 語訳➜一緒に共に学ぶことが出来ても。 
    共に同じ道を學ぶことはできても。
    子供論語意訳の例➜「同じ教室で机を並べて学んでも。」
○ 諸橋轍次の場合
 可シ與二共ニ学ヲ
 読み➜興に學を共にす可し
 語訳➜お互いに志を同じくして、学問を共にして行くことは出来るであ
 ろう。(論語の講義より)
○ 「與」を助字として「に」と読み、「共」の意味合いを強くする。
○ 「與共」を単語として「一緒に」と読む。

2021年06月28日

子、在川上曰

解釈一
川の流れを見ながら、しみじみと言うわけです。時間は容赦なく過ぎ去っていく、私も歳を取ったものだ。
歳を取ると、時間の流れが早く感じられて、また残された時間もやや意識するようになって、孔子の嘆きを感じ取れる。

解釈二
川の流れに、尽きぬエネルギーを見よ、この川の流れを。滔々と休むことなく流れておる。我々もこのエネルギーをもって精進しようではないか!

時の流れが早いことに深く共感するもよし、目標に向かって頑張るぞっと気合いを入れるもよし。どう受け取るかは、あなた次第。

2021年04月26日

第46回公民館展について

第46回 公民館展について
1.開催日:令和3年6月5日(土)〜6月8日(火)
2.時 間:午前9時〜午後5時(最終日午後3時)
3.会 場:糸魚川地区公民館3階大ホール
4.作品搬入:6月4日(金)午前9時〜午後7時➜展示作業あります
 〈参加出来る方〉待ち合わせ時間(    時)

5.作品搬出:6月8日(火)午後3時〜午後4時➜後片付けあります
 〈参加出来る方〉

6.会場警備委員➜6月5日(土)午前9時〜午後1時で申し込みます
 〈参加出来る方〉 

2021年04月20日

子日わく、忠信を主と

【読み下し】
子(し)日(のたま)わく、忠信(ちゅうしん)を主(しゅ)とし、己(おのれ)に如かざる(しかざる)者(もの)を友(とも)とすること無(む)れ。過(あやま)てば則(すなわ)ち改(あらた)むるに憚(はばか)ること勿(なか)れ。

【現代語訳】
先師がいわれた。――
「忠実に信義を第一義として一切の言動を貫くがいい。安易に自分より知徳の劣った人と交わって、いい気になるのは禁物だ。人間だから過失はあるだろうが、大事なのは、その過失を即座に勇敢に改めることだ」            (下村湖人『現代訳論語』)

【解 説】
@孔子は「過てば則ち改むるに憚ること勿れ」と弟子達によく云っていたのではないか?
A前章の結語「説(よろこ)びて繹(たず)ねず、従いて改めずんば、吾之を如何ともす  
 るなきのみ」の関連文として入れたのではないか?
 つまり、連続するこの二章を以て、反省〜改過を強く訴えたかったのではないか?論語 
 は孔子の孫弟子筋によって、最初に編集が始められたと云われますが、世間で云われる 
 ように確かに雑纂ではあるけれど、編者達の苦心の跡がそこここにうかがえます。編者 
 の苦心を察してみるのも、論語を読む楽しみの一つではないでしょうか。
テキストからの問い掛け・・
※学而第一(P5)にもあるが、どういう意味でここに入れたのでしょう。
・孔子の口癖?
・学而第一とここでは流れが違うのではないか。例えば言っている相手。
・世間で云われる弟子のだだの雑多な記憶?
・ここでは章句を独立させている。
・編纂ミス?
教訓➜過ちは素直に改めよう!


公民館展の準備について。
各自、筆と墨と下敷きを準備ください。色紙(二種類)と練習用色紙は会で用意します。

2021年04月05日

子曰。後生可畏

【読み下し】
子(し)曰(のたまわ)く、後生(こうせい)畏(おそ)るべし。焉(いずく)んぞ来者(らいしゃ)の今(いま)に如(し)かざるを知(し)らんや。四(し)十(じゅう)五(ご)十(じゅう)にして聞(きこ)ゆること無(な)くんば、斯(こ)れ亦(ま)た畏(おそ)るるに足(た)らざるのみ。
【現代語訳】
先師がいわれた。――
「後輩をばかにしてはならない。彼等の将来がわれわれの現在に及ばないと誰がいい得よう。だが、四十歳にも五十歳にもなって注目をひくに足りないようでは、おそるるに足りない」
(下村湖人『現代訳論語』)

【解 説】
「今の若い者は!」などと、現代と同じことが当時も云われていたのでしょう。孔子は「そんなもんじゃない!若者は皆無限の可能性を秘めているのだ!」と、期待を込めて云っておりますが、後段が何とも手厳しい。「四十五十になってもパッとしないようでは最早それ迄!」というんですからね。四十五十を、四十代五十代と拡大解釈しても良いかと思います。

➜老子の言葉に「大器は晩成す」とある。
教訓➜四十までに成果を出せ!